フットサルとは
フットサルは、基本的には室内で行われるサッカーに似て非なる競技。
1989年に国際サッカー連盟(FIFA)がフットサルも管轄することになり、1994年には世界共通の統一ルールをまとめられたが、それまで長らく非公式に行われ統一ルールというものが存在しなかった。
『フットサル』という名称は、サッカーを表す「futbol(スペイン語)」・「futebol(ポルトガル語)」と、室内を表す「salon(スペイン語)」・「salao(ポルトガル語)」の合成語。スペイン語の「futbol de salon(フットボール・デ・サロン、意味は「室内で行うサッカー」)」の名称が、いつの間にか短く略され、「フットサロ」→「フットサル」となった。
歴史
もともと足で球やボールを蹴る行為はサッカーもフットサルも起源や歴史は一緒であり、人類は歴史が始まった頃からこの行為は始まったとされる。例え ば、新石器時代(紀元前約1万年前)の現中国地域の地層から石の球が発見されたこと(中国マスコミはこれをサッカーの起源として報道したが、蹴った証拠は 見つかっていない)。南米の熱帯雨林で古くから早く生産して作った天然ゴムのボール(これにより南米では早くからボールを蹴るが行われていた)。パタゴニ アやアンディスのインディオ文明にて描かれているボールを蹴る人々(紀元前1500年チリのピリマタム、パタゴニアのチョエカ、紀元前800年メキシコの マヤ文明のポク・タ・ポク)。他にも足でボールを蹴る遊戯は、考古学的には、古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマから足でボールを蹴る人物のレリーフが発見されている(紀元前200年古代ギリシャのエピスキロス、紀元前200年古代ローマのパルパツウム)。 しかし、これはあくまでも足でボールを蹴るだけの行為であり、サッカーが確立されたのは19世紀のヨーロッパであるのに対し、フットサルらしき競技はまだ行われていない。(11人制のサッカーに対しフットサルは五人制でオフサイドなし、選手交代自由、スライディングを反則とするなど、ルールが工夫されており、室内競技であるため。)
よってフットサルの直接の起源は以下の二つに該当する。
まず、一つは南米を中心に発展してきたサロンフットボールである。サロンフットボールとは弾まないボールのことで、「サロンフットボール」は、1930年にウルグアイで考案された。また、ブラジルでも同様のものが考案された。最初の統一ルールは、サンパウロで出版されたものとされている。サロンフットボールは、その後南米全域へと広まっていった。
1965年からは南米選手権が開催され、1979年まで続けられた。1961年には、国際サロンフットボール連盟(FIFUSA)が設立され、1982年に世界サロンフットボール選手権がサンパウロで開催された。後に、世界フットサル協会(AMF)となった。
もう一つは、サッカーの母国イギリスより発祥して、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどに広まったインドアサッカーである。インドアサッカーは普通のサッカーと同じボールを使って、壁も使って行われる競技である。ルールや名称も国々によってまちまちで、スペインではフットボール・サラ、ドイツではハレン・フースバル、イタリアではカルチェット、オランダでザールと呼ばれるものがそれに当たる。ヨーロッパでは、ザールのルールを元にしてUEFAがインドアサッカーのルール統一を図った。
FIFAは、こうしたミニサッカーが世界中に広まるのをみてルールの統一を始める。1989年には初の世界大会をオランダで開催した。第2回の大会は香港で開催され、FIFAとFIFUSAによるルールの統一化が図られた。
このときのルールの問題点を改正し、1994年より競技名を「フットサル(FUTSAL)」と改められた。
国際大会
FIFA主催
- FIFAフットサルワールドカップ - 4年に1回、サッカーW杯の中間年に行われている。各大会には16チームが参加している。
AFC主催
- AFCフットサル選手権 - 毎年行われている。2007年は日本の大阪市と尼崎市で行われた。
- AFCフットサルクラブ選手権 - 2010年に第1回が開催された。
UEFA主催
- UEFAフットサル選手権
- UEFAフットサルカップ
フットサルナビ
フットサルナビは、日本のフットサル専門雑誌。
フットサル専門雑誌。出版元は白夜書房。2006年創刊(それ以前はムックとして発売)。隔月刊で、偶数月に発売されている(ただし雑誌の表記は、奇数月)。
ムックとして発売されていた頃からずっと、表紙をキャプテン翼の作者である高橋陽一が描いている。
高橋陽一
高橋 陽一(たかはし よういち、1960年7月28日 - )は日本の漫画家。東京都葛飾区四つ木生まれ、東京都立南葛飾高等学校卒。妻は声優の日比野朱里(旧名:小粥よう子)。血液型はA型。
主にスポーツを題材とした作品を執筆。代表作はサッカーを題材にした作品『キャプテン翼』。
1980年、『週刊少年ジャンプ』において読み切り作品『キャプテン翼』でデビュー。翌年、同作で連載開始。同作は人気を博し、1983年にテレビ東京系でアニメ化された。『キャプテン翼』の最初のアニメ化で翼役を演じた小粥よう子(現日比野朱里)と結婚した。
現在のプロサッカー選手には国内外問わず、当時『キャプテン翼』に影響された少年たちも多く、『キャプテン翼』がなければ現在の日本サッカーシーンはなかったとまで言われる。
スフィアリーグに参加する芸能人女子フットサルチーム「南葛シューターズ」の監督も務める。また、『Road to 2002』では翼がFCバルセロナで入団し活躍する(連載前に高橋自身がバルセロナに行き、深く感銘を受けたことによって「翼はバルセロナに入れよう」と決めた)。これによって日本でのFCバルセロナ人気が高まり、日本人のスペインリーグへ関心が高まったことやFCバルセロナファンが増大した。このため2004年2月16日には高橋はFCバルセロナの会長から直々に招待され、VIP席で試合を観戦したこともある。また、FCバルセロナのライバルであるレアル・マドリードの会長(当時)からは「なぜツバサをうちのチームに入れてくれなかったんだ」というコメントを受けている。
さらに作中で翼がバルセロナに入団した際、バルセロナのスポンサーであるナイキ社から「翼のスパイクをアディダス社からナイキ社に変更してほしい。」という要望を受けたがこれを固辞している。これに関して高橋は週刊ヤングジャンプ誌の取材で「僕はアディダスのファンなので。」と語っている。
2006年には漫画家として、異例のCM出演に留まらず、翼との”共演”を果たした。
サッカー以外にもスポーツ全般を好み中学生時代は卓球部に、高校時代は軟式野球部に所属、『エース!』連載中も草野球チームやソフトボールのチームをいくつか掛け持っており、北海道移転前からの北海道日本ハムファイターズのファンである。
また、漫画以外でもフランスのプロチームグルノーブル・フット38のイメージキャラクターも手がけている。さらに、イラク復旧活動の際には自衛隊側からの依頼で「イラクの子供に喜んで受け入れてもらうため」に、自衛隊の車両に『キャプテン翼』のキャラクターを描くなど、執筆活動以外の活動も行っている。2009年には、オリンピックの東京招致活動の一環であるメッセージフラッグに、『大空翼』と『若林源三』のイラストとメッセージを書き込んだ。
2011年には女子W杯に出場した日本女子代表の激励のため開催国ドイツに赴く。その際、翼と澤穂希をモデルにした応援キャラクター『楓ちゃん』を書き込んだ日の丸をチームに寄贈した。その後日本が女子W杯初優勝を果たした際、澤はこの日の丸を身にまとってウイニングランを行っている。
2008年6月18日J2第18節横浜FC対徳島ヴォルティス戦より、横浜FCマッチデープログラム内に『はばたけ蹴太』を全13回計26ページにて連載。雑誌以外の連載物は初。